2010年6月24日木曜日

100624 そもそも始まりは2003年にあった (重複)

勘違いしている人もいるようだが、ジュセリーノが周囲の人間からも「予言者」と認知されたのは2003年以降のことである。[註1]

それ以前ジュセリーノには予言者としての活動履歴はまったくない。

従って、2001年9月11日に起きた同時多発テロの警告の手紙(もちろん日付を偽造したものである)を実際に目にした人はいてもそれは皆事件の起きたあとでということになる。

同様、「的中した」と言っているジュセリーノによる警告の手紙というものは全て2003年以降にしか公表されていないし、2005年にジュセリーノがブラジル中の注目を浴びてから公表した事前公表の予言は見事なくらいの外れっぷりを見せている。

それにしても今尚下のような地震の予言に対して「不安を覚えた」という人が一向に減らないというのにはアタマを悩めている。

最近もまた地元の人から「近々ここらへんで大きな地震が来るとか言われているけどあれはなんなんだろう?」とか「13日にあった地震のあとになんかそういう予言をしたガイジンがいるのを聞いたが、それがアレ(ジュセリーノ)のことなのか?」みたいなことを言われたりしている。

ときどきだが、なんとも答えようのない質問も来る。




そんなのはこの自分に質問をするよりも、ブログなんかで今でもジュセリーノのことをまるで実績のある予言者であるかのように喧伝している(つまり嘘を書いているということだ)その人にぶつけたほうがよっぽど早いだろう。

というか言われて自分もそういうジュセリーノの予言について「当たるかも」みたいな無責任なことを書いているブログなんかを目にすると「しょうもない人間ばっかなんだなぁ」とこっちが暗い気分になる。

改めて言うが、ジュセリーノ・ノーブレガ・ダ・ルースの予言とはひとことでいえば「フィクション」であり嘘でしかない。彼に予言者としての実績はまったくない。

そんなことはジュセリーノの予言が日本に紹介される前からブラジルでとっくに明らかになっていたことだった。

問題なのは、にもかかわらず、この日本にそんなインチキ予言者を商売にしようと目論んだオカルト出版社であるとかテレビマスコミが存在したことのほうなのだ。

こういった連中にこそ鉄槌でも食らわせないと、ほっといたままにするとこれからも(ありもしない)地震予言におびえる被害者の人たちは減ることはなくても増えるだけなのかもしれない。

そんなことは絶対にさせませんけどね。

とりあえずこれからはそういうマスコミに乗っかっている問題のあるHPやらブログをひとつひとつここで検証し批判をしていこうかぐらいの気持ちではおります。

それが自分のところにくる被害者の方々の要望にそったものであるのならば、ということですが。まあ最後のゴミ掃除みたいな感じになるのだろうけれど。
2010.06.22

[註1]2001年とするものもあるが、自著の中でジュセリーノは2001年頃は長期海外旅行中としているので、そうするとその事実と符合しなくなるという矛盾が生じる。なのでその場合でも、最低でも2002年以降とするのが正しい。(『未来からの警告』P249)

【追記】

何故ジュセリーノの活動開始時期を「2003年から」と言い切れるのか? その根拠は?というような問い合わせが相次いでいる。

直接的な証拠は当時ブラジルのサンパウロに住んでいたという女性からのメールということになる。自分はこの情報をかなり早い時期に受け取っている(このブログをジュセリーノ予言検証に特化した07年の2月のころだ)

0218 (その2) セナの死について考える  (2007年02月)

 情報を送ってきたのはふたりいて、ひとりの方がジュセリーノという予言者の登場時期を「2003年ころ」としていて、もうひとりの方は「2005年か2006年」としていた。

このズレは決して単なる誤差ではなかった。のちのちたとえば『予言者ジュセリーノの疑惑』という本の中でも述べられていたとおりで、ジュセリーノがサンパウロ郊外に住んでいる心霊師たちと交流しはじめた時期とも一致しているし、TAM航空の墜落を警告していたと名乗り出てそれがサンパウロのローカルテレビで取り上げられたのが2003年のころだった。そして例のブラジルの連邦司法の判決(つまり差し戻し)が出て、それが「裁判所もジュセリーノの予知能力を認めた」とブラジルのマスコミを通じて騒ぎ出したのが2005年ということになる。つまりブラジル国内でもジュセリーノという自称予言者の知名度にも大きな時差があったということなのだ。

もうひとつ、それよりも重要なことは、この「事実」というものを裏付ける傍証というか検証作業も通過しているということだろう。

そののちいろいろとブラジルで見ることのできる記事や画像というものを片っ端から目を通したのだが、ジュセリーノが他者に送ったといっている警告の手紙やら公証届けのある片割れというもの、どのすべてもが何故か「2003年以降の初公開」になっていることだ。

なんでこんな不自然な事実というものを当時誰も気がつかなかったのだろうか?

不思議でしょ。こんな簡単なトリックに誰も気がつかなかったとすれれば、日本にいる出版社・テレビ・スポーツ新聞は全てバカ者揃いということになってしまう。

そこに気がつけば、この日本でこのような不易で不毛な『ジュセリーノ騒動』というものは起こらなかっただろう。たま出版の本もソフトバンクの本も出なかっただろうし、日本テレビのふたつの番組もなかっただろう。ジュセリーノの来日と講演も、そしてテレ東の番組も存在しなかったはずである。

しかしそんなわけはないよな。彼らははじめから(ジュセリーノがインチキをする自称予言者であることを)知っていて、そしてこの自称予言者を商売のネタにしようと目論み、チラチラ見え隠れするこういう不都合な事実は伝えないという手段をとったのだろう。

自分が腹を立てているのはこういうマスコミの連中、あるいはジュセリーノに群がった連中が、自分は騙されたであるとかの「被害者面」を通していることだ。

そういうやつらには「そうじゃねぇだろう。オマエは被害者じゃなくて視聴者を騙した加害者サイドの人間なんだよ」といってやりたいのだ。今でも。

自分はかつてオカルトを飯の種にしている連中のことを「さもしい連中」と卑下したことがあった。

オカルト、あるいはオカルティズムというものは確かに研究の対象というものにはなるだろう。それはわかる。しかし、それは決してテレビを頂点とするようなマスコミの商業ベースの上に乗っけてはいけないものなのだ。

その線引きというものは確実に存在する。それはたとえば「(テレビ番組に迎合するための)嘘をついてはいけない」ということもある。

例を挙げる。もし、テレビで何度か取り上げられていた「おのこ草子(をのこ草子、あるいは草氏とも)」のことをはじめからただのでっちあげたと知っていながら「あれは間違いなく江戸時代にあった」とか言っている人間がいたならば、そいつはオカルト研究家ではなくてただの嘘つきということになるだろう。そういうことだ。

はなしを戻す。これは自分がジュセリーノについていろいろと調査していて得た実感なのだが、オカルト、あるいはオカルティズムというものは今の日本のテレビマスコミの主流にあるような「明日ではなくて今日中に答えを出せ」というような促成栽培とは絶対に間尺はあわない。無理矢理あわせようとするとそこには必ず嘘が生じる。あるいは、テレビに出るようなオカルト関係の人間は皆嘘つきばかりというような、笑うに笑えないような悲しい事態になってしまうのである。
2010.06.23