2010年5月8日土曜日

100508 ニューヨーク株式大暴落とジュセリーノ予言

こんなニュースがあったために沢山のメールコメントをいただいております。

NY株続落、139ドル安
http://www.tokyo-np.co.jp/article/economics/news/CK2010050802000194.html?ref=rank
東京新聞web

たしかに、いわれて思い出したのだが、その昔(三年くらい前に)ジュセリーノはそんな感じの予言を公表していた。

一応念のためにとウィキペディアも見てみたのだが、2010年のところに

2010年6月15日 ニューヨーク株式市場が崩壊し、世界経済が危機に陥る。
というものはあった。

しかし、このウィキペディアの記述自体が実はウソである。

ウソという言い方も過酷かもしれないが、説明を加えるとこういうことになる。


ジュセリーノ(の予言)が日本に紹介されてもう三年以上が経つが、ジュセリーノはその間にこのような株式崩壊の予言をいくつもしているし、そのほとんど(註1)がすでにハズレている。

最近のでいうと昨年2009年度の年間予言の中には10以上のこのような「通貨危機」であるとか「国家破産」の予言があるのだが、どのひとつをとってもマトモに当ててはいない。これが事実なのである。

それどころか、ジュセリーノの予言のどこを見ても昨今深刻な問題として世界的にニュースになっているギリシャの金融危機の予言はない。

これが大きな事実である。もしジュセリーノが本当の意味での「予言者」ならば、このギリシャ金融危機の予言ぐらいは公開しておいて欲しいところである。

まあジュセリーノはこのようにして自分がただのニセモノの予言者である証拠を着々と積み上げているだけのハナシだ。

それにしても自分が情けないなと思うのは、ウィキペディアのこのジュセリーノ・ダ・ルースの項目の執筆をした人たちのことだ。

この項目の備考欄にこのようなことが書かれている。


現状は逼迫しているが、『未来からの警告』(p316)では2010年6月15日と記されている。

バカじゃないの。なにをして「現状は逼迫」なのでしょうか。その事実というかソースはなんなんだろう。ここはぜひとも提示してほしいところである。ちゃんとしたソースがあるのならね。

このような記述がいつまでも放置されていて、それに対して何も感じないというのはものすごく恥ずかしいことなのではないのか。

それに気づく人は誰もいなかったのだろうか。

というか「ウィキペディアって何?この予言者の出した本の宣伝のためのものなの?」みたいな呟きをしてしまう自分である。


[註1]「みち☆まり」さんによる。2009年の年間予言に「アルゼンチン発の南米の金融危機の可能性」(時期指定なし)というものがあって、それならば「まあ外れではないという程度の当たり」だそうだ。もちろんそれ以外の(期日指定の)金融危機の予言は全ハズレ状態。

[註2](他のブログで書いていることなので)御存知の方もいるかもしれないが、自分はウィキペディアの編纂をしたり、あるいは項目を新たに立ち上げることもある「ウィキペディアン」でもある。依頼をうけたり、あるいは自発的な意思でこのようなことをもう9年近く(つまりウィキペディア日本語版が立ち上がったころから)つづけている。こんな自分が言うのだから聞いて欲しいのだ。ウィキペディアの「ジュセリーノ・ダ・ルース」の項目はおかしなことになっている。他の同様のもの、似たようなものと比較してほしい。というかジュセリーノ・ダ・ルースの項目の執筆者たちは反省して、この項目をもっと事実主義に根ざした記述に改めてほしいと切に祈っている。

ウィキペディアによる「ジョセフ・マクモニーグル」の説明


[追加]

これもまた別のブログに(しつこいくらいに)書いていることになる。

最近のウィキの記述内容に対して(あるいはネット記事にもあてはまると思うのだが)時に全面的な信用というものは置いていない。

自分はウィキ執筆に臨んで「オマエにそれをやる資格はあるのか?」と常に自問自答を繰り返している。

もちろん、それは「自分のすることは公共の利益に適っているのか。反してはいないか」という過去の自責と自省・反省というものがあるからだ。

だから今までも自分はウィキに関しては(依頼をうけたものは別にして)自分にその資格なしと断じたものについては執筆も項目の立ち上げも慎んできた。

ウィキの「ジュセリーノ・ダ・ルース」の項目に対しても同じことで、自分がこの項目の執筆を謹んできたのは、自分が自分の名前でその項目に手を入れてしまうとどうなるかがわかるからだ。

まずまちがいなく頻繁なる「書き換え合戦」が起きる。そしてそれは多くの利用者の利益に反することにつながってしまう。

それがわかっているから自分は「ジュセリーノ・ダ・ルース」の項目には手を入れない。そういうことだ。

というか、自分が「ウィキで書かれていることを丸呑みにするな」といつも以上に強調するのは、自分がウィキの執筆者として今まで何度も心無い執筆者にイヤな目に遭わされてきた過去があるからでもある。

はっきりいうと、最近のウィキペディア執筆者の質というものはかなり落ちてきているし、それは(最近の)ジュセリーノの項目を見て感じることである。

[追記2]

何故「現状は逼迫しているが、『未来からの警告』(p316)では2010年6月15日と記されている。」と備考欄に書き込むことが「バカなこと」になるのかの説明を求めるコメントが何通か来た。

んー、こういうことまでも説明しなければならないのか。しかたないのう。

それでは説明しよう。まず、ジュセリーノのこの予言は何についての予言であるのかということが重要になる。

言うまでもない。ニューヨーク株式市場の崩壊についての予言である。ジュセリーノのこの予言は「ニューヨークの株式市況が崩壊して」それがきっかけとなって、結果として「世界経済が崩壊する」と言っている。原因と結果でいうのならば、原因がニューヨークの株式市場であって結果が世界経済の崩壊である。

では逼迫(ひっぱく)するというのは何のことなのであろう。言い換えれば、主語は何だということだ。

当然この予言は「ニューヨークの株式市場についての予言」であるから、ここで逼迫しているというのは「ニューヨークの株式市場」のことでなければならない。もし逼迫していると言っているのが「世界経済の崩壊(の危機)」のことならば、この予言の備考覧にあえて書くことではないだろう。そういうことを自分は指して「バカなこと」と言った(書いた)のだ。

また、原因と結果の関係で言った場合に、もし「世界経済危機が原因でその結果ニューヨークの株式市場が崩壊」だったら、それはもうジュセリーノの予言とはまったく関係のない出来事が起きたということになるので、そもそも備考欄で「(世界経済が)逼迫しているが…」の記述は必要ないということになる。

要するに、(主語が)どちらの場合にしても、備考欄に書かれている「事態は逼迫しているが…」以降の記述はまったく不必要なものになる。

だから自分は、この記述の主が「ニューヨークの株式市場が崩壊して世界経済が危機になる事態が逼迫している」と見るのならば「そのソースを出せ」と言った(書いた)のだ。

いったいどこに「ニューヨーク株式市場(崩壊)がきっかけとなり世界経済が危機になる」という事態が逼迫しているというソースが存在するのだろう。

オカルティストのHPとかブログなのか、それとも2ちゃんねるの書き込みなのか。

自分はウィキペディアにこのようなソースの存在しないただの妄想を面白がって書くような奴は即刻退場すべきだと考えている。

もちろんそれは上でも述べたとおりで「何が公共の利益なのか」であるとか「何が公共の利益に背くか」と常に自問自答しながらウィキペディア執筆をしているからであり、そういう面白がてらにウィキペディアに無責任な書き込みをする人間のせいで迷惑を蒙ったことが何度となくあったからだ。