2007年2月27日火曜日

070227 ジュセリーノの予言の嘘(その2)アイルトン・セナの事故の予言

 
【ジュセリーノ予言の真実 0227】 ジュセリーノの予言の嘘(2)

これについてここで書くのはもう三度目か。

リクエストというか「もっと詳しく説明してよ」という声が多いので、もう一度改めて書かかさせていただく。

そのジュセリーノという予言者は、自分の予言者としての実績として、昭和天皇の崩御などとともに「アイルトン・セナの事故死」を挙げている。

F1ドライバーのアイルトン・セナが1994年5月1日行なわれたサンマリノグランプリの決勝レースの7週目、タンブレロと呼ばれている左コーナーを直進してそのままコンクリートウォールに激突してそれで起きた死亡事故のことである。

ジュセリーノはこの事故を「殺人である」と言っているのだ。

最初は、この話をはじめてきいた時には、昭和天皇の崩御と同じで、なんかものすごくいやな感じを受けただけだった。怒りのようなものも感じた。

しかし、冷静に考え直してみると、このジュセリーノの「殺人である」という言い方にはものすごいお間抜け感が漂っていることに気がついたのである。

そしてそのことを書いてみたら、KKさんという方からも同じような感想を書いたメールが届き、KKさんの書き方のほうが自分よりも数段論理的だったので、そのまま転載するような形で利用させていただいた。


事実を知っていれば(事実を確認するという作業をすれば)、そしてひとつひとつの出来事を順を追って考えてゆけば誰でもわかることなのだ。

結論からいうと、ジュセリーノは(なんのつもりかはわからないが)ついうっかり「セナの事故は殺人」と言ってしまったために自分で自分の予言の信憑性のなさを露呈してしまったというお間抜けなはなしなのである。


まず、大体にしてだが、事故当時ブラジルには「自分はセナの死を予感していた」と自称する霊能力者がそれこそ雨後のタケノコの如く出て来た。あるいは「セナは謀殺された」と謀殺論を唱える人物はかなりの数存在したのである。

つまり、いまさらジュセリーノが「自分はセナの死を予言していた」と自分の予言が当ったという実績と持ち出して来ても、それは別にジュセリーノの予言者としての優秀さを示すものにはなりえないということがまずひとつある。

次に、その「殺された」という表現について考えてみる。もしあの事故そのものが誰かに「仕組まれた事故」だと主張するのであれば、あの事故の最大の首謀者はセナ自身である。従って、「殺された」ではなく、「セナの自殺行為に等しい」と言わなければ当ったことにはならない。

そうではなくて、「あの事故でセナを殺そう企んだ人物がいた」と主張しているのであれば、その企んだ人物は相当な間抜けだと言わざるを得ない。

実際、セナはコンクリートウォールに激突したショックで死んだのではないし、出血多量による失血死で死んだのでもないのだ。

セナの命を奪ったものは、壁に当った際に飛び散り弾丸のようにヘルメットのバイザーを突き抜けて(註1)顔面に当たり頭蓋骨複雑骨折と脳幹挫傷を引き起こしたサスの一部であった。つまり、狙っても滅多に起きることのないはずの不幸な偶然が起きてしまったのである。

仕組んだ事故で殺されたというのでは説明にはなっていないというのはこのことだ。それともこういう激突でパーツが飛び散る角度とかの「偶然」までも計算に入れていたという論旨なのであろうか?

だとしたら単なる馬鹿だ。相手にする必要もないだろう。

フライ・バイ・ワイヤー(わからない人は各自で調べてください)やパワーアシスト(パワステ)を外部からコントロールしたり、タイヤをスローパンクチャーさせてコントロール不能の状態にさせて事故を演出したという陰謀論を展開している人もいたが、セナは決してそれでは死ななかったということだけは確かなのである。

実際、今ではあのレベルのウォール衝突事故ならば、搭乗していたドライバーが死ぬ確率は2%以下ではないかと言われているくらいだ。(註2)しかし、それをも上回るような偶然の出来事が実際に起きてしまったのだ。そういうことだ。従って、その「首謀者」による「セナ謀殺」という目論見はものの見事に外れたこととなってしまい、「殺された」という表現にはあたらないということだ。予言も外れてたということになる。

事故後、誰かが事故に見せかけてセナの命を奪った、という陰謀論も不可能。
セナは即死状態だったからだ。つまり時速200キロの速度で移動している物体に対してほんの一瞬で外部からなんらかの仕掛けの出来るものすごい能力者でもなければ事故に見せかけて殺すことも出来なかった。

総論として言える事。
それは「ジュセリーノのセナの事故死に関する予言はどのような観点から検証しても外れた」のだ。

しかし、この場合問題にすべきなのは、その外れた予言を「当った予言」としていることの方ではないだろうか。

知らずのうちにジュセリーノは自分で自分の予言者としての能力のなさを喧伝していたということになるのだ。

そして、よく考えてみればだがあの死亡事故以外にも生前のセナはサーキット内でいくつもの事故を起こしている。もし仮にセナがあの事故のあとでも生きていたとしても、その後のレースで多くの事故を起こしていたはずだ。

ジュセリーノはその94年サンマリノで起きた事故とセナの死を結びつけた予言をしてしまっている。しかし、セナはあのGPで殺されたわけでもなんでもなく、たとえ事故の予言だとしても「当った」ことにはまったくなってはいないではないか。

以上が、うかつにも(自分の予言と当時遍く数多くいた他の予言者との差別をアピールしたかったのか)「セナは殺された」などと口を滑らせてしまったことでジュセリーノは自ら墓穴を掘ってしまったいう実にお間抜けな話である。

その、自分にメールを送っていただいたKKさんも最初に感じたのは、このジュセリーノという人物に対する「ある種のいかがわしさ」だという。

自分の予言者としての名声のために人の死さえも利用してしまうその狡猾さと腹黒さに対しては自分と同じように義憤を感じたともいう。

ジュセリーノが本当にこころあるブラジル人ならば絶対にセナの死など口になど出来ないであろうとも書かれている。そのことに対しては自分もまったく同意である。<了>



註1:ヘルメット本体には致命的なキズも穴は開いていなかったということだ。FIAで行なった試験でも、この事故が起きる可能性については予測不能だとしてヘルメットの供給会社の責任は問えないと結論づけた。

註2:検死した医者が裁判で証言しているが、その致命傷となった頭蓋骨複雑骨折と脳幹の挫傷以外に、セナには大きな致命傷となる傷は残されていなかった。事故後ヘリで輸送されていたときに多量の出血があったかのように言われているが、出血量は多くはない。その出血は気管確保のための緊急の切開手術のためのものだ。その手術の手順にもまったく問題がなかったことも裁判で併せて立証された。(ウィキペディア『アイルトン・セナ』の項参照)