2010年3月28日日曜日

100328 無茶苦茶なたとえ話を耳にした

まあ、環境であるとか地球温暖化について語ると、たとえそれが善意からくるものでであっても、よくと考えると無茶苦茶なたとえ話に置き換える人が出てくる。

たとえば、この二酸化炭素というものをゴミに置き換えて、そして地球というものをひとつのマンションにたとえて、このようなたとえばなしというかおとぎばなしにして語っている人がいる。

最近、マンションから出るゴミの量が増えすぎて共益費だけではまかなえなくなってきたので、マンションの住民が一致協力してゴミの量を減らそうと努力する、つまりそれが地球温暖化に対する私たちの取り組みと同じなのです。

これってなんかおかしいでしょう。

もしおかしいと感じないとしたらその人のほうがおかしい。



もちろんこんな方法では決して本質な解決(ゴミの量を減らす)には結びつかないからだ。

もし、マンション全体から出るゴミの量が急激に増えたのが事実だとすれば、そこにはちゃんとした理由があるはずで、それを究明しないことには、どれだけマンションの住民が一致団結したとしても「適切な解決」にはならない。

たとえば、入居世帯数が増えたからだとか、どこかの部屋から出るゴミの量が一挙に増えたからとか、なにか決定的な原因があるはずなのだ。それに対処しないで何が問題解決になるのであろうか。

というか、環境の問題、特に二酸化酸素排出に関して我々に課せられているのは、このようなたとえばなしで置き換えられる「不公平な解決方法」なのではないか。

たとえば(たとえばなしにたとえばなしで返すのも大人げないのだが)こういうことだ。

マンションから出るゴミの量が増えたその理由についてよく調べてみたら、最近越してきた住人の部屋から膨大な量のゴミが出されているのがわかった。これでは不公平なことになるから、これからは出したゴミの量にふさわしい料金を別枠で徴収することにした。

このたとえばなしなら「そりゃそうだ」と納得する人も多いのでは。

勘違いしないでほしい。自分はこれを環境問題であるとか地球温暖化に対する解決策にそのまま当てはめていいとかそういうことを言っているのではない。

要するに、「環境問題であるとか地球温暖化について語るときは下手なたとえばなしに持ち込んで丸め込むような卑怯な手段をとるな」ということを言いたいのだ、自分は。

誰に対してということではない。すべての人にだ。