2010年3月9日火曜日

100309 トルコでの地震について その他

あれからも、何通もメールを頂いています。
メアドさえ書いてあれば、返事の必要なものには返事を差し上げています。

ただし、ここで取り上げるかどうかはまた別の問題になりますので、そこのところはよろしく。

さて、チリに続いて、今度はトルコで大きな地震があって、死傷者がかなり出ているようだ。

お問い合わせが多かったのは、やはり「ジュセリーノが公表した最新のものにそれに該当するものはあるのか?」というような質問。

それに対するお答えですが、該当するようなものはありませんでした。まあ、毎度のことだけどね。

こういう質問、なにか大きな事件や天災、事故があるたびに寄せられるのだけれども、(念の為にと改めて表明しておくのだが)たとえそれらしい合致点というものが見出せたとしても、それはもうこの「ジュセリーノ騒動」の本質とはまったく関係のないことでしかないのだ。それだけは言っておこうか。

ジュセリーノというブラジル人は何のためにこんな無益な行為(あたらないことが趨勢明らかになった年間予言の公表)を毎年々々繰り返しているのだろうか。

どうにもそのあたりのシステムというか大きな理由はよくはわからないのだけれども、いいですか、このつまらない行事、過去4年間も続いていることなのである。

毎年のように世界のどこかで(甚大な被害をもたらす)大きな地震がおきているわけだし、ジュセリーノのように年間五十以上百近くの地震の予言を公表していれば、そのうちのひとつやふたつは、なんとなくそれらしい合致点のあるものくらいは必ず出てくる。それが確率というものだろう。

2010.03.08




さて、今年になって、ハイチ、チリ、そしてトルコと、大きな地震の被害報道が続いてるからだが、「今年は大地震の当たり年ではないか」みたいなことを言ったり(ブログなどで)書いたりしている人がいる。

あるいは、「地球、人類の滅亡のシグナルである」とか「カタストロフィ(終末的大災害)の前触れではないか」といい気になってほざいているバカが本当にいるから困ったもんだと思う。

そういった無責任な書込みを見て不安になったという人も結構いるとみえて、そのことを訴える内容のメールとかコメントがきたりするわけです。


どこから「今年は地震のあたり年」みたいな無理矢理な結論を引っ張りだしてくるのかはよくわからないのだけれども、少なくとも、今年の二月までの大型地震の発生数をみる限りでは、特に地震発生が多いというのでは決してない。

そもそも(大きな)地震というものは、前述のとおりで、地球規模で見た場合には、毎日のようにどこかでおきている。

それが人の住んでいるところであっても、そうでなくてもだ。

もっとわかりやすく言えば、この地球、ほとんどが海に覆われているわけだし、地震のほとんどつまり7割は「海底地震」になるわけだし、陸地だって、人が住んでいる場所、人口の密集している地域のほうが圧倒的に少ないのだ。

この(ハイチ、チリの)地震の特異点とは、要するに、人のたくさん住んでいる地域(の近く)で起きた地震だった、ということなのだ。

地震というものは、そこに人が住んでいるとか住んでいないとかの違いで起きたり起きなかったりするものではない。

人の沢山住んでいる場所、地域で大きな地震が起きて、そして(二次的なものを含めて)被害が甚大なものになったとすれば、それは「地学」「地層学」とはまた別の「社会科学」の領域の問題なんです。

つまり、各々の国情の違いであるとか、防災の認識の問題だということです。

いや、だからこそ、自分もチリの地震の場合、起きた地震の規模もそうだけど、報道を見るたびに、遅々として進まない復旧作業や、多発している略奪行為であるとか、あるいは悪化する衛生事情に対して「大変なことだな・・・」と大震災に対する認識というものを新たにするのだけれど。

特に、自分が注意を払って見ているのは、現地での「デマ」の発生とか、デマが広がったとかだろう。例の津波に関する誤った報道が引起してしまったパニック騒動もそのひとつだった。

自分はどうしても、一昨年9月に愛知を中心とする東海地方で起きてしまったジュセリーノの予言が原因となって広まったパニックと重ねて見てしまうのだ。

あのときのパニックというものを未然に防ぐ有効な手段というものがあったとすれば、それは何だったのだろうか。それについては自分は今でも考えることがある。

出る結論はいつも同じである。

要するに、面白半分でマトモな取材もしないで、ジュセリーノのことを「的中率90%の予言者」とか持ち上げたり、番組にしたり記事にしたマスコミがちゃんと自己責任でもって「ジュセリーノの予言は作られたものでインチキです」とはっきり言えばよかったのだという結論になるのだ。

でさて、そのマスコミの連中は、そののちジュセリーノについて、その真贋についてマトモに言及したことはあったのだろうか。まったくないよな。聞いたことがない。

それについては、どのテレビ局も出版社もだんまりを決め込んだままというなんかキモチ悪い状況が続いているのが現状である。情けないハナシだが。

そのマスコミ、(ジュセリーノ同様に)どこもかもが自分らの生命線、財産であるはずの信頼性というものを失ってきていることにまったく気がついていないようなのだが。

自分は、こういうのは「自殺行為」というんだと思うのだが、どうなんでしょうね。顧客である視聴者読者離れを引き起して、自分のクビを絞めているのもそうだし、多くのマスコミ媒体が経営危機に面しているのに対して、なんの同情論も沸き起こってこないというのもその何よりの証左だと思うのだ。

極端なことを言うのであれば、虚報を垂れ流しにしたままでも平気なツラをしているマスコミならば、ごめんなさいの一言も言えないのであれば、むしろこの世から消え去ってくれたほうがどれだけ世の中(あるいは日本)のためになるんだろう。

そして、多くの(テレビにソッポを向き始めた)視聴者の心の奥にあるものとはそれなんじゃないだろうかね、そんな気がしてならないのだ。

2010.03.09