2008年9月20日土曜日

80920 日本テレビ9月18日の番組について その5

あれからも18日の番組に対するメールコメントが続々と来ている。合計すると200件近くなるのではないか。

中にはどうしようもないものもあるけれども、そういうのを除いても150件にはなるはずだ。

メールについてのみ言うのであれば「あの番組は単なるお笑い番組でしかなかった」という感想がやたら多い。それ対して、コメントの方はストレートに怒りをぶつけてきたようなものが多い。非常におもしろい傾向かと思う。

自分の感想もどちらかというとメールを寄越された方の感想のトーンに近いのかもしれない。

自分も、結局あの番組、大きなくくりでいうとすると「お笑い番組」だと思うのだ。そのためのラインナップ、つまりスタジオに並んだあのあからさまな人選はそれを目指したからなのだと思う。

木下優樹菜と大沢あかねが揃っていると一年前くらいの「クイズヘキサゴン」をどうしても思い出す。そういう人は多いでしょう。ああいうものを狙った起用だったのではないだろうか。


ただし、もしこの番組が「本当に本気でお笑いも目指して」いたとしたら、その目論見は端からとっぱずれて大失敗だったと言えるだろう。

皆が「全然笑えなかった」と言っているからだ。まあそれは同意である。自分もまた思わず「苦笑」はしたものの、「笑わされて笑った」という実感はまったくないのだ。

最近の「テレビのお笑い」というもの、どこかその「融点」というものが低く設定されていて、自分にはまともに笑えないものばかりだということはある。

笑わされる方(つまり視聴者ということになる)のレベルが低くなってきていて、それに合わせて「笑わせる側」である「お笑いのブロ」のレベルも低くなってしまっているのではないか。

「笑わせるプロ」ではない-つまりバラドルであるとかいわゆる「天然」と呼ばれる人たちが引き起こす笑いというものが視聴者にウケたりよろこばれたり重宝されたりと幅を利かせるというのも、この「低くなってしまった笑いの融点」というものの悪い影響だと思う。

もし、木下とか大沢が視聴者を笑わせるため、狙いであんなボケたことを言ったりやっているとしたらそれこそある種の「天才」だぞ。

番組のパネラーの中でいわゆる「お笑いのプロ」と言えるのは、伊集院光のほかは柳原可奈子と次長課長のふたりということになる。

柳原についてはこの際置いておく。話し出すと長くなるし、ややこしくなるからだ。まあ早いはなし、この人も「人選ミス」だったということなのだが。(註)

伊集院と次長課長であるが、次長課長がさっぱりであった。

このふたり(というか実際には河本ひとりということだが)は「プロのお笑い」として視聴者を笑わせようとした。そして失敗したのである。いわゆるスベったというやつだ。

なんでこうなったのか、実は自分はその理由は知っている。「知っているからこういうことも書ける」ということを証明するためにもこのことを書くのだが、次長課長の河本は上からの指示、つまりテレビのディレクター・演出あたりから指示が出ていて、彼はそれに従うようにして「役」を演じていただけだ。

どうやら、あのヒナ段に座らされて「信じる」「信じない」の意見を表明するその役割というものも演出で予め決まっていたようだ。たったひとりを除いて。

河本には「大槻教授に噛み付くオカルト好き」という役割も振られていたということなのだろう。

でも河本って役割を振るならば「ツッコミ」ではなくて「ボケ」のほうだろう。本業は。少なくとも次長課長のコントをみる限りにおいては。

この河本をスベらせたものはなにかというと、「須藤元気」の存在だったのではないだろうか。

河本は明らかに須藤元気を意識していた。というか意識しすぎていた。それが大失敗だったのだと思う。

ここはむしろプロのお笑いさえもスベらせてしまう須藤元気恐るべし、といったところか。

しかし誰なんだよ、こんな「ガチ」を連れてきたのは。

そりゃ元格闘家だからガチなのは当然だとしても。

番組の進行を無視して、人の話に割って入ってきていきなり「ベータ波がどうした」とか真剣に話し出す須藤元気。これでは笑えない。

(つづく)

註) 柳原可奈子だけではないが七人いたパネラーのうち何人か(というかほとんど?)は、ジュセリーノが実は相当に怪しい予言者であることは知っていたようだ。「週刊新潮」の記事、そしてウィキペディアにも目を通していて、ジュセリーノのトリックについてもうすでに知っていたという人もいるのである。その為にこのジュセリーノのパートは取り直しを余儀なくされてしまったようだ。その原因をつくったのがどうやら柳原可奈子らしいのだ。その為だと思うが、この番組の中の柳原はやたらおとなしく、これといったみどころもない。タレント稼業はつらいなぁ。

【追記】必ずしも「柳原可奈子のせい」ということではなさそうだ。むしろ須藤元気のせいといった方が正しいのかもしれない。柳原はサブとかディレクターからの指示に従って場面つなぎのための「シーンの取り直しをさせられた」だけといったところかもしれない。柳原可奈子さんには失礼なことを書いてしまったかもしれないのでここでお詫びを申し上げる。つか頑張れよ柳原。


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