2007年7月26日木曜日

070726 新たな捏造疑惑2

さてその偽造疑惑の続きである。

まず、これは0725の追記のところに書いたことでもあるがこちらにも念のために書いておこう。

「2ちゃんねる」でもこのこと(アダム航空機墜落のジュセリーノの予言がなぜか最初ブラジル国内でも流れた誤報そのままだったということ)に気がついてそれを事細かに記述していた方がおられた。

ジュセリーノの予言8【中越沖地震的中】
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/occult/1184646618/
420 本当にあった怖い名無し sage 2007/07/19(木) 17:21:24 ID:ydnjlRqZ0
今年の1月1日に墜落したアダム航空機の事故の件だが、妙な事が分かった。

http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/airline/1171469817/

予知の内容と、最初の報道は上のリンクを見てもらったとおりなんだが、
この報道は誤報で実際には機体はスラウェシ島付近の海で尾翼の一部が海で見つかっただけ。
遺体もほとんど見つかっていないし、生存者も確認されていないようだ。
詳細は以下のWikipediaで。

ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%80%E3%83%A0%E8%88%AA%E7%A9%BA574%E4%BE%BF%E5%A2%9C%E8%90%BD%E4%BA%8B%E6%95%85

私はアンチでも否定派でもなくジュセリーノに大いに期待しているひとりなのだが、
なぜジュセリーノの予知が最初の誤報に酷似しているのかについて重大な疑念を抱いている。


自分がこのことを記事にするよりもこの方の書き込みの方が先である。

自分はこの事実に関してはだいぶ以前に世界の航空事情に詳しい「TT」さんという方から教えられて知っていた。なんかこんなことを言い出すと負け惜しみっぽく聞こえるかもしれないが「どっちが先だ」とかそういうことを言いたいのではない。

ジュセリーノのような予言者が「誤報を予言してしまう」という事実にどれだけの大きな意味があるのか最初は自分も気がつかなかったくらいであった。逆にTTさんにそのことをメールで書いたときに「そういえばそうですね、それはすごい発見です。それについて書くのは今は抑えておいたほうが得策でしょう」と言われて取っておいた。

だから先に2ちゃんねるでこの事実について踏み込んで書かれた方(この方はこのブログの読者だそうである)がいたということを知らされたときは、「そうだよな。気づく人が出るのも時間の問題だしな」くらいにしか思わなかったのである。

誰であろうとどんな立場の人であろうとも、このジュセリーノの予言というものについて真剣に考えて自分の足(労力という意味)で、自分の意志でもって事実を確かめるということの出来る人ならばいずれは気がつくことだからだ。

このようなどう考えてもジュセリーノの予言というものの欺瞞の決定的な証拠となるような「不都合な真実」はほかにもまだいくつかある。自分はほかにもいくつも発見したし教えられもした。

それどころかジュセリーノが何かことを起こすたびに口を開くたびにそれはどんどん増えていってしまっているのだ。

問題なのは、ジュセリーノ自身が自分のしていることが、それが彼の予言が嘘であるという動かぬ証拠になってしまっているということに気がついていなかったり、日本でこのジュセリーノの予言というものを「当っている。これからも当たりつづけるのは間違いない」と彼の予言を広めようとしている「たま出版」の韮沢潤一郎氏もまったく気がついていないということだろう。

しかしそのようなことくらいは当然ブラジルではかなり知れ渡っているのである。

たとえば、ジュセリーノが2001年10月1日にブッシュ大統領に送ったという手紙(第三版140ページ)の中には、いくつものありえないような矛盾がジュセリーノ自身によって書かれている。そしてジュセリーノはそれを自分の予知夢の証明だと言っているのだが、実際のところはその逆で、ジュセリーノがただの嘘つきでしかないということを自分で暴露しちゃっているという証明になってしまっているのである。

新聞で報道されていた政府や軍の発表というものをそのまま鵜呑みにしたジュセリーノの大失態である。

同じく2001年10月1日付けのマスコミに送ったという手紙(同186ページ)と並べてみると、たまの本にはこの事件の事実検証は行なわれておらずに(同187ページには)「原書の原稿締め切り直後に発生した」と書かれているのである。それを知ったとき(教えてもらったとき)自分は何故か背中に冷や汗をかいたくらいだった。

ひょっとしてマリオ・エンジオ自身がこの大いなる矛盾というものに気がついていないとすればだが、マリオ・エンジオもまたジュセリーノと共犯関係にあるという証拠になってしまうからである。

しかも翻訳していた山川栄一氏も監修者の韮沢潤一郎氏もまだこのことには気がついてはいないということになるではないか。

もし仮に自分の友人であるとか親しい人間がたま出版にいて、この本の編集に関わっているとしたのならば、自分は即刻「この部分については触れるな。すぐに削除してなかったことにしろ」とアドバイスをするであろう。

ていうか本当に本当の意味での親身なアドバイスというものがあるとすれば「そんな出版社辞めちまえ」になるのだろうが。

で、これはついでになるがここで書いておこう。185ページ(第三版)に何気なく書かれてある(註)
(この手紙が書かれた日付が)最初に出された(事件18-1文書)2001年10月1日なので、まだ起きていないニューヨークの9.11テロ攻撃を予知していると述べている。

という部分はすごい。さすが予言の本だけはある、などと感心している場合ではない。普通ならありえないような大ポカだろう。もしこれが翻訳中に生じた間違いだとしても監修者とか編集者という役目の人がいるのならばこういうミスぐらいは潰しておくべきだろう。いくらなんでも。

いまさらだが、こういう感じのシンジラレナ~イくらいの記述については論(あげつら)って笑いものにするのはものすごく簡単なことだ。

しかし念を押すようにして改めて言うのだが、自分が目標としているのはあくまでも「ジュセリーノの予言の嘘」というものについて暴露することであって、このような「たま出版側のミス」を論い笑いものにすることではないということだ。

テレビでオカルト芸人「ニラサワさん」のボケっぷりを笑うのとは別物だということだ。それとこれとはまったく違うことだからだ。(まあこのことについては踏み込んで書かなければならないこともあるのだがここはおいて置くとする)

だからテレビに出ているニラサワさんを笑いものにすることはまったく構わないと思うし、それでいいのだろう。

だけれどもしかし、自分はたまの本は買わないし、人には「買うな」と言うのである。くり返しになるけれどもそれとこれはまったく別のことだからだ。笑って済ませていいこととそうでないことの区別というものはあるのである。

※ 註「VAN」さんからのご報告による。「マジで一瞬『9・11っていつ起きた事件だったっけ?』と考えてしまいました」だそうである。

文意をとるのであれば「2001年10月1日なので、起きたばかりのニューヨークの9.11テロ攻撃を予知していると述べている。」でなければいくらなんでもおかしなことになってしまう。