2007年6月14日木曜日

070614 2006年の月別予言に関すること

【ジュセリーノ予言の真実 0614】 2006年の月別予言に関すること

ちょっと今日の記事は内容がカタい。

中には「読んでるとアタマが痛くなる」という人も出て来るだろうが、そういう人はこの項は飛ばして下さい。

ジュセリーノの月別の予言というものは最初、一昨年の2005年12月に、2006年の分と2007年のものが出ている。

ジュセリーノの予言に懐疑的なマスコミに対して、その証明をということで最初は手書きとタイプで打ったものが(新聞?)に載せられた。

やがてそれが他のホームページなどに転載されて、原型をとどめないくらい改変されたものが「ジュセリーノの予言」としてネット上を飛び交っていたらしい。

やがて、ジュセリーノの知り合いという人がHPを立ち上げてジュセリーノが最初に書いた予言をテキストにして公開した。(これが最初のジュセリーノの公式HPでもある)

ところが、それでさえ、ジュセリーノが最初に発表した手書きとタイプ打ちのものとはかなりの違いがあったのである。

そのへんのことはブラジルで活動している批判のブログなどで喧しく言われていることのようだ。

どうも、ジュセリーノは外れてしまっていた予言を削除させたらしいと言われている。このへんのことはよくわからない。

ただし、事実だけでいうと、最初に出されたものと、テキスト化されたものとは若干の違いどころか相当の開きが見ることができる。

まあそれでもどっちにしてもジュセリーノの予言は外れていたということには違いはないのだが。

そんでもっていつのまにかジュセリーノの公式HPからはこの2006年の月別の予言は削除されてしまっている。

なので、後追いしてこの2006年の月別の予言というものを検証しようとするととてつもない手間がかかってしまうのである。

本来ならばこんなことは自分のような立場の人間のすることではないと思っている。
もう、それが外れていることを俎上にする以前の問題だからである。

「2006年の月別の予言」がことごとく外れているという理由でジュセリーノの予言は贋物と声高に口にする必要もないであろう。それが自分の考え方である。だから「こんなもの」とか言ったりするのであって、それ以上に深い意味はない。

そう思っていたので自分はこの2006年の月別の予言に関してはまったくすっ飛ばしていた。

しかし、(あたりまえのはなしなのかもしれないが)「たま出版」から出たジュセリーノの本でもこの2006年2007年の月別の予言のことは一切触れられていない。

特に、2006年の年間予言に関しては、たま出版のHPでも韮沢コラムでもアンタッチャブルなままなのである。

日本でこのジュセリーノの2006年の月別の予言というものを見ようとすると、ウィキペディアからリンクされている「日本語版」に掲載されているものしか見ることができない。

しかしこの「日本語版」っていうのが酷い代物で、とてもじゃないが人にお奨めできるような内容ではない。

まず第一に日本語になっていないのだ。どうやら、HPにあったものをそのまま機械訳に掛けただけのようである。

前から「2006年の分についても何か書いて下さい」みたいなメールを頂いたりはしていたのだが、そういう意味で手のつけようがなかったという部分もあるのである、正直なところ。

で、「みち☆まり」さんからその「2006年の月別の予言の一覧」の(日本語訳)とその当り外れの判定を送ってはいただいたのだが、大きく3つの点ですぐの掲載を躊躇しているところである。

ひとつは、どれが「最も正しいオリジナルのジュセリーノの予言」なのかの確認が取れないということ。

ふたつめは日本語訳の問題である。

そしてみっつめは、文章の切り方によっては当たりともいえるし、はずれとも言える、どっちともいえないものが多いので「無理矢理な判定」になってしまっているということだった。

まず第一の点であるが、自分が以前オリジナルとして在日ブラジル人のNSさんという方から送っていただいたものが「(古いものという意味での)オリジナル」のようなのである。ただし、4月以前の分と、それ以降もところどころが抜けている。次が「日本語サイト」の元になっているものがある。ブラジルで喧喧諤諤されているのはこのバージョンである。つまりジュセリーノの公式HPにはじめてお目見えしたものである。よく見るとわかるのだがところどころ抜けているのがわかる。ミスではない。あとから意図的に抜かしたのである。

「みち☆まり」さんが「検証をした」のもこれをもとにしている。がしかし、全てではないにしても、日本語の訳が酷かったので、自分が手を入れることにした。

方法としては、ポルトガル語からフランス語に機械訳を掛けたもので意味が通じたものはその時点で日本語に訳をつけるという「二重訳」をする。それでも意味の通じないものはポルトガル語から英語に機械訳を掛けたものも参考にした。

さらに出来上がった日本語訳を再び(フランス語や)ポルトガル語に再翻訳してみて、大きな違いが出てこなくなるまで繰り返してみた。

「何故フランス語か」というと自分が読めるラ系語がフランス語しかないからだ。(ただし、読めるだけである、たいして話せないし聴解力もない)きっとスペイン語が出来ていればもっとスムースに訳せただろう。

だから、意味の通じる文章にはなってはいるが、それが「最も正しいふさわしい日本語の訳」というわけではない。その点だけはご容赦願いたい。