2007年5月25日金曜日

070525 超論理的反論

 
0523と0524の「手紙の偽造」についてはかなりの反響のメールとかコメントを頂いている。

中には
(略)
実はワタシ「未来からの警告」は持っています。
 '`,、(∀`) '`,、
その手紙についての部分や(画像のある?)133ページも
何度も繰りかえして見てたのに
肝心のそのことにちっとも気つきませんでした!
衝撃でしたよ。正直「やられた」という気持ちでいっぱいです。
(略)
と書いてきてくれた人もいた。否定の人でもたまの本は買って読むのか。
えらいなあ。自分にはそういうことができないのである。

金の問題ではない。
なにしろ自分はこのことのために「ポ日・日ポ辞典」を買ったり、「ポルトガル語入門」なんて本までも買うような人間である。ともに古本屋からだが。
それでも辞典の方は3000円以上もしたのである。

そんな本を読むだけの強い動機付けがないからである。
もしこれが原書のほうだったらそうでもないのだろうが。
(あくまでも読めればの話だが)

また、これは最近気がついたことなのだが、以前あれほど来ていた「ジュセリーノの本を読みもしないで批判をするな!」みたいな、予言肯定派の人からのメールはぷっつりとこなくなってしまった。

自分のような人間にあの本が渡ったらそれこそ「間違い探しのパズル本」状態(笑)になるということに気がついたからなのだろうけれど。

だからか、かわりにこのブログの主旨に対して好意的な(いわゆる懐疑派を含む)ジュセリーノ予言否定の人からの「早くあの本を読んでこのブログでどんどん叩きまくってください。期待してます!」みたいな励ましというか期待を込めたものが目立つようになった。

変な期待のされかただが。そんなものだろう。
だってそのほうが刺激的で面白いに決っている。

だからといって、うかれる気分に浸ってはいけないのだけれども。

中には「ライブドアのポイントをやるからそれで本を注文すれば?」みたいな申し出をされてきた人もいた。

なるほど、そういう方法もあるのだなと勉強させていただいた。

しかしやはりそういうものは受け取りにくいのでご遠慮申し上げたが。

一応、古本屋の知り合いには、たまの本の動向だけはお願いはしようかとは心積もりだけはしている。そんなところだ。

さて、やはり思ったとおりのことではあるが、あの「マイアミヘラルドからの手紙」についての超論理を展開してきた人もいた。

そういうのを待っていたのである。ご希望どおりにここで公開させていただく。
前略、まあそうね、「ご苦労サマ~」くらいの言葉は掛けてあげる。

あの手紙のサインことで偽造の証拠だとうれしそうに書いているあなた
さまには大変申し訳ないんだが、そんなのは証拠にもなんにもなんない
んだよ。残念だけど。

あれはマイアミのヘラルドがあとでシラを切るために最初からそういう
罠を仕掛けておいたのさ。だからあなたもその罠に引っ掛かった愚者の
雄たけびのひとりでしかないわけ。わかるかな?この世界の陰謀はそう
やって深く侵攻しているという、まぎれもない証とみるな。私のような
上級者くらいになると。多分君はまだそこまでのレベルではないね。

ジュセリーノ師はたぶんそのことを知っていながらもやつら(いうまで
もないがヘラルド=グループはユダヤの世界制服の手先機関)の罠に引
っ掛かってみせただけ。

流石である。
そういえば、前にも似たような「超論理」を展開してくれた方がいたな(笑)


まあ、いちいち反論してゆくと無駄に疲れるので、ここでまとめてさせていただくが、こういうジュセリーノが受け取ったといわれている手紙の「異常性」が言われているのは別に「マイアミヘラルド国際編集部」からのものだけではない。

あまりにもおかしなものが多過ぎるのである。

中にはジュセリーノが送られてきたと言っているバチカン国外務次官ガブリエル・カッシア自身がその存在を否定している感謝の礼状なども含まれているのである。(ブラジルでの報道)

この事実をもってこの人はさらにどういう超論理を展開してくれるのだろうか。楽しみである。

っていうか楽しむなよな自分。(自戒)



【追記】
最初に紹介したメールは「VAN」さんのものである。このころはまだ匿名として紹介させていただいたが、送っていただくメールが妙に面白いのでお願いして「引用フリー」みたいな形で随時紹介紹介したいと申し出たところ快く受けていただいた。そのたまの本の入手の経緯だが「ある夜酔った勢いでアマゾンでネット注文した」のだそうである。

次の「超論理的反論」の主だがかなり以前からこのような内容のコメントを書いてくれている常連さんである。名無しなのだがIPと内容で同一人物とわかるのである。
更にときどき見せるそのユニークな造語感覚には、まあなんていうのか、笑わせていただいていた。

このコメントでも「手先機関」というのには思わず手を打った。
「それをいうなら出先機関だろ!」という突っ込みは不要だろう。
「手先機関」、なんというのか「言いえて妙」というやつではなかろうか。
思わず自分も「では、名古屋につくれば手羽先機関か」とか浮かんでしまった。
最近コメントがないのが残念である。