2007年5月17日木曜日

070517 コメントのこと

【ジュセリーノ予言の真実 0517】 コメントのこと

あいかわらずコメントがとんでもないことになったままである。

「川口喜三郎」なんだそりゃ。よくこの名前は目にはするのだが、コイツと「ジュセリーノの予言」にはどういう関係があるんだろう。誰かちゃんとした説明してくれよ、どうせ意味不明なコメントを残すのなら。

どうやら、そういう意味不明なコメントを連続で書き込んでくる人たちはIPアドレスというものの意味を知らないでいるようだ。
あまりにも間抜けな状態になっているものがあるからだ。

IPを表わす数字を並べかえたりグループ毎にまとめたりすると、大体だがサーバーの場所(バーチャルな意味で)とそれを管理しているプロバイダーやブログ(を持っているポータルサイト)が(もちろん推測だけではあるが)ある程度は特定できてしまうのであるのだが。

まあそれで、3・4名による仕業だということはなんとなくだが掴んだところである。

0515で取り上げたコメントの主からの再再反論はまだ来ていない。

やはり日本人で「ジュセリーノの予言」を「予言」であるとか言ったり、信じているとかいう人たちのレベルなんてそんなもんでしかないのか。

もう一度言うが、自分は「再再反論して来なさいよ」と言っているのだ、わざわざ。メールでもいいんだが。

最近になって噂を聞いてか、ブラジルからたまにクールな感じのメールが来るようになった。こういうのがもっと早く来ていてくれれば助かったんだが。
いや、そんなことを言えるような立場ではないな。

ある人からのメールを訳すると、こういうことになる。



ジュセリーノの予言を信じている日本人がいるだなんて信じられない。
もし、ジュセリーノのいうことを100%信じてるというのならばその人間には、まずブラジルに来てみろよと伝えてほしいんだ。
ジュセリーノは我が国でその実像を自分の目で見て確かめてほしいんだ。
それでも、ジュセリーノの言っている未来を信じるっていうのなら
そのまま日本なんかに戻らずにブラジルの山奥に住めばいい。
そこで生きのびる方法を考えるのが一番だろ?





こうして、ブラジルから来るメールを何通も読ませて頂いて(理解可能なものだけではあるが)、同じような視線で日本のジュセリーノの予言を信じているという人たちからのものを較べて見てしまうと、どうしようもなくその「小さ過ぎる動機」であるとか精神の幼稚性ばかりが目に付いてしまうのだが。

それは、掲示板だとかの書き込みにも言えると思う。
言っていること書いていることに一貫性がなさすぎるのである。もっといけないのは自分でそのことには気がついていないことか。

そもそも何故「予言」なんてものを信じてしまうのか、信じなければいけないのか、その動機の部分がものすごくいい加減というか自分でぼかしてしまっている。言えないようなものだからなのか。

当たり前の話だが、ジュセリーノの予言も、ノストラダムスの予言にも、マクモなんとかさんとか、なんとかテイラー全てがそうなのだが「予言」なんてものに、はじめから万人を納得させる科学的に正しい根拠とかはありはしない。

なんとなく「そういうものはあるかもしれないなぁ」という淡い期待を抱く人たちに合わせた「仕組まれた報道」のせいで、まるで「予言が当った」と見えているだけである。

特に、ジュセリーノの場合は日本に紹介されたときすでにブラジルではその数々の欺瞞が暴かれており、ほとんど相手にされなくなっていたころでもあった。

ただ、その部分だけが意図的に隠されたまま「娯楽」いう名目でテレビで紹介されただけに過ぎない。その「娯楽」のために迷惑を蒙っているいう人は少なくはないのである。自分はそれをずっと訴えつづけている。

そう、ほんと、それだけなのである。やっぱり「娯楽」なのである。日本においては。なんのかんの言ってみても。

でなければ自分の商売であるとか金儲けであるとか宗教とかに利用しようとしている人間だと思う。「たま出版」も当然ここに入る。