2007年5月11日金曜日

070511 カルトの定義とか 

【ジュセリーノ予言の真実 0511】 カルトの定義とか (カルトとはなんぞや)

ジュセリーノ(の予言)のことをカルト呼ばわりするのはけしからんというメールが数通来ている。
そういうことをメールで書いて来た人にはこういう返事をしている。

ではあなたのカルトの定義をまず教えて下さい、と。

まだ返事は一通もかえってこないが。

自分がジュセリーノの予言のことを「カルト」であると言い切るのには踏ん切りが必要であった。

そもそも、「カルト」の定義自体がものすごく難しいからだ。特に日本においては。

しかし海外、特に欧州や南米でSECTの定義自体はものすごく簡単なようだ。単にキリスト教の分派(教会)をそう呼んでいるという解釈もある。教義自体がさほどキリスト教から離れたおかしなものでなければSECTと呼ばれてもどうとも思われていない国もある。

しかしそれ以外のCULTとなるとキリスト教以外のものすべてを含めて考えたりしているという定義もある。国毎に対策をしているところもあるしそうでないところもある。フランスやドイツなんかはCULTに厳しいらしい。特に最近では南米各国ではそういうSECTやCULTの活動が活発化して問題になっている。最近、統一教会の日本人幹部が誘拐されるという事件があったが、そういう社会背景がある。

ジュセリーノのことを「THE FOUNDER OF SECT」と書いたことに反論してくるブラジル人はいるのかというと実はほとんどいない。SECTという言葉に対して実際にさほどの抵抗感はないのかもしれない。しかし、

JUST LIKE AS "AUM" JAPANESE BUDDHISM CULTという表現には「それとは違うぞ」とかなりメールで文句を言われているような状態である。
いずれジュセリーノ本人にも訴えられるかもしれない。(さすがにそれはないか 笑 )

しかし、キリスト教の「終末思想」というものを取り入れ、ノストラダムスの人類滅亡の予言というものを真に受けて世界中を奔走してその資料をあつめたり、グルへの帰依こそが唯一の救いであると説いた「オウム」と、カルマ(業)という言葉で人類の行く末というものを説明して自分の予言(当れば正しい、外れればそれは喜ばしいことと)を正当化しているカトリック教徒を自称しているジュセリーノはまるで鏡で写したかのように「対」になるような存在ではあるまいか。

そういうことを言っているのである。

オウムはカルトであり、それが故に尚且つ犯罪集団になってしまった。

しかし、ジュセリーノはセクトの教祖ではあるが彼を取り囲むのはオウムのような「犯罪集団」ではない。
その違いは歴然としてある。

しかし、ジュセリーノの予言というものを利用して金儲けをしようしたりする人間の影はチラつくのである。ブラジルでも日本でも。

「アセンション」とか「フォトンベルト」とかそういう言葉で信者を集めようとしている人間もそうだ。
自分はその中に「たま出版」も「テレビ朝日」も含めてもいいんじゃないかと思っている。
というかそう思われたくないのならちゃんとした対応をしろよとテレビ朝日に対して迫っているのである。
そういうメールを送ったりしたのだ。そういう意味で、自分はまだテレビ朝日の味方でもあるのだ、まだ。

しかし、先に挙げた評論家の方の言葉ではないが、カルト(=セクト)は必ず急進化するものなのである。

自分も、期日を区切った予言をするカルト(=セクト)はまず間違いなく急進化するものだと思っている。
そういう意味で「今年2007年がリミットである」と明言したジュセリーノの予言はセクトの末期と同じ症状だけは出ていると見ている。
それで自分は逆算するような形であるがジュセリーノの予言のことをセクト(=カルト)であると言い切ることにしたのだ。

果してジュセリーノの予言なんてそんな価値のあるものなのだろうか。

よく見てよく読んでよく考えればチグハグだらけの世迷い事でしかないじゃない。

それでも、ブラジルとか日本にいるジュセリーノの予言肯定派の人たちや信者は、そんなジュセリーノの予言というものから逃れられないのだから可哀想といえば可哀想なのだが。




※これも4月21日以降にアップする予定だった記事が元になっている。少し書き改めて0511の記事にした。