2007年4月15日日曜日

070415 四月分の訳について

【ジュセリーノ予言の真実 0415】 四月分の訳について

相当後回しになってしまったが、ジュセリーノの公式HPに掲載されている月別予言の四月分の日本語訳に関することになる。

そもそも自分はほとんどポルトガル語が読めない。そんな自分がポルトガル語で書かれたものにいちいちああだこうだといういうことはおこがましいことなのだが、ポルトガル語ができる方が訳して送って頂いたものと原文を付け合せて見てみたりして、この世には随分と酷い日本語訳が出回っているのに腹を立てて、そういうサイトやブログを諌める目的で(笑いものにするために)ここで3月分の日本語の訳を載せた。まあ、その結果はあったんじゃないだろうか。中には逆ギレしてなのか、おかしなこと(このブログ、あるいはこの私に対する中傷・デタラメなことなど)を書き込む掲示板もあったが。

で、4月分の訳であるが、もうここで自分が載せる必要はほとんどないと思っている。flashboxというブログに月別予言を日本語訳したものがあって、少なくとも事実関係だけは間違ってはいない日本語訳があるわけだし、それを見てもらったほうがいい。

ただ、一箇所
H)Atentados contra postos policiais maracarao as lembrancas do ano anterior ...


の訳だけは「訳になっていない、意味が通じていない」と困っているようだ。正直な方である。好感が持てる。

(自分もよくはわかっていないが)送られてきたものを読んだ限りでは、事件というより(おそらくはブラジルの)国内の政治に関する予言のようである。
「postos policiais」は「警察」ではなくて「政党」、あるいは「政治的な立場」ことで、「maracarao」は(楽器の)マラカスではなくて政治結社・政治的主義(=政党)のことのようだ。まあ輪をかけて不完全なことを書いて申し訳ないのだが。

しかし、こんなことを書くと今まで自分が書いてきたことを一部根底からひっくりえすことにもなってしまうのだが、ジュセリーノの四月の予言、あまり深く追求する意味がなくなりそうなのだ。

というのも、ジュセリーノ自身すでに発表していた月別の予言とは違うことを言い出している(ようである)。

驚いてみたり怒ってみてもしかたがない。ジュセリーノは昨年の暮れにも同じようなことを一度やっている。それ以前に自分が発表していた予言の一部を撤回したり改めたりしている。それから3ヶ月が経ったのでまた同じことをしているだけなのである。

このあたりがどうも日本でははっきりと伝わっていない。

以前ジュセリーノの予言を訳して送っていただいたNSさんが「4月から先は今訳しても意味がなくなるよ」と言っていたのはこのことだったし、日本では「たま出版」から本が出る時期なのできっとここいらでその改定版を載せてくる可能性はものすごく高かったと当時から充分に予想出来ていたことだったのである。

じゃあ何故その新しいものが「公式HP」に載らないかというと、ジュセリーノは失敗に懲りたらしくて(そらそうだよな)こういう形で「予言」を発表するのを辞めたのだという。

で、今では雑誌や新聞に対して直近の予言なるものを小出しにしているだけで、まとまった大きな予言(事件・事故)に関してはほとんど口を閉ざしている状態なのだそうである。

ただ、以前よりも温暖化の問題であるとか十数年先に人類に訪れる危機であるとかに関する予言(というか発言)の比重は大きくなっているようである。

まあ、ジュセリーノ自身はそれでいいのかもしれない。困るのは「たま出版」のほうだろう。「的中率90%」であるとか散々煽っておいて、いざ本を出す「直前」に本人に方向転換されたのでは立つ瀬がない。

それで「たまの本」の方では、今後の予言に関してはああいうはっきりしないものを載せるしかなかったのではないかと推測しているのだが。

まあ、あとは雑誌「ムー」との連動で、「金正日」であるとか、日本に直接関わりのありそうな恐怖の予言などで興味を繋いでゆく方針かと思われる。



【追記】
今日15日からちょっと旅行に出かけます。その間も予定投稿しておいたものが自動的に更新されるはずなのですが、ひょっとしたら更新されないこともあるかもしれない。(最近何故か多いんです)そのことに気がついたときは出先からでも更新をするつもりでいるのですが、もしかすると一日・二日遅れてしまうかもしれない。

だから更新が止まったからといって心配したり、あるいは喜んだりしないでください。お願いします。


【追記 その2】
結果的にだが、自分(達)のこの推理は当たりとはいえずとも遠からず、といったところでジュセリーノのブラジルでの方向転換(予言を撤回しはじめたのだ)をうけて日本語版の製作に四苦八苦していたようである。
それに何を思ったのかジュセリーノは日本に関する予言を弱めてみたり、場所を換えたり、延期させたりしはじめた。ある人は「日本で自分の本が出るんでサービスのつもりなんじゃないか」と言っていたが、予言とはそういうものなのか。違うだろう。いくらなんでもそれはない。