2007年4月14日土曜日

070414 セナの事故について 4

【ジュセリーノ予言の真実 0414】 セナの事故について 4

F1マニアという人種は普通の人など思いもよらないところに目がいったり気がついたりする。

これは別のブログに書いたことなのだが、自分が昨年の途中で「今年でマイケル・シューマッハは引退の決心をしたな」と確信したのは、予選後に行なわれるプレスセッションインダューの時などにキャップを被らないでいたり、レーシング・スーツのロゴに対する気配りがなくなってきたのを見たからであった。スポンサーとの契約がなければ一流のチームで走れなくなるF1ドライバーにとってはあるまじき行為であるし、M・シューマッハはそういうところまでも完璧にこなしてきたという意味では一流ドライバーの鑑(かがみ)と言えるような存在であった。その彼の行為はむしろ一種のサインのようなものかもしれない。少なくとも彼のアタマの中に「来年の契約」というものがすでに抜け落ちていたのは感じることが出来たのである。同様のことを感じたF1ファンは多かったようだ。

さて、自分がここでアイルトン・セナの事故死についてかなり熱心に書いたためであろう。やはり昔からF1を見ていたというファンからのメールを貰うこともある。大体は「良く言った!」とか「胸のつかえがおりたような気がした」というお褒めの言葉なのであるが、ここに来てものすごいメールが来た。

いや、自分もうかつであった。というか、やはり今でもセナのことを語る時、考えるときに自分は少し冷静さを欠いたままなのかもしれない。

そのメールの主はセナの事故死もそうだが、同じ1994年行なわれたサンマリノグランプリの予選2日目(4月30日)に事故死したローランド・ラッツェンバーガーについて触れている。

「何故そのジョセリーノという予言者は警告の手紙をラッツェンバーガーに出しておかなかったのだ!先にその警告をラッツェンバーガー・サイドに送っていれば彼の死も免れていたかもしれないし、そういう手紙の存在が明らかになれば決勝レースは中止になって、結果的にセナだって死なずに済んだだろうに!」という怒りで貫かれている。ちなみにこの方はラッツェンバーガーが日本にいたときにレースを何度も見ていて、彼のその頭脳的で適確な走り方というものに感心したとも書いている。

ごもっとも。思わず手で膝を打ってしまった。自分はうかつであった。しかしこのことに気がついたという人は何故今までひとりもいなかったのであろう?

自分は今そのジュセリーノの本を持ってはいない。ひよっとすると「たまの本」には記載されていなくとも原書の方にはラッツェンバーガーのサイドにも警告の手紙を送ったとかの記述はあるのかもしれない。

であるからして、今この段階でジュセリーノ本人に対してこの怒りをぶつけるというのは時期尚早なのかもしれない。

しかし、ジュセリーノが(あくまで仮定として本当にラッツェンバーガーに警告の手紙を出していないのだとすればだが)ラッツェンバーガーに警告の手紙を出さなかったとすれば彼(ジュセリーノ)はふたりのF1ドライバーの命を見殺しにしたことでもある。

酷い予言者である。そのことに対する反省といったものはないのであろうか?自分の「セナに警告の手紙を送る」という方法は端っから愚策以外なにものでもなかったということになるのだ。ジュセリーノは予言者としても失格だがひとりの人間としても、どこか何か人として大切な何かが欠けているような気がしてならないのだが。

まあこんなことを書くと肯定派の誰かからは「事故死ではなくて殺されたのはそのラッツェンバーガーの方だった。」とか言い出すバカが出てくることは確実に予想されるので(残念だったね、そこの君)あらかじめ書いておくけれど、それではジュセリーノの「的中率」はその時点で50%になっていたということでもあるし、では誰が何の目的で、何故ラッツェンバーガー(なんていう新人ドライバー)を事故に見せかけて殺す必要があったのか、そしてどういう方法で、というところまでちゃんと記述できなければ、やはりセナの死を「事故ではなく殺人である」と言ってしまったジュセリーノ同様、すぐにその矛盾に満ちた言い訳は看破されることだけは付け加えておく。

さてどんな超論理を展開してくれるのであろう。メールをお待ちしております。(嘘だよ、念のため)

まあ、2ちゃんねるでもいいんけどさ。F1に関する知識無しにいろいろと書くと恥をかくだけだからやめたほうがいいと思うよ。

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さらにこの記事が出てからもっとそれを上回るような鋭い指摘があった。

(前略)
本当(にジュセリーノがセナの謀殺を防ぎたいと思っていたの)だったら(セナに送る)警告の手紙にはその1994年までに起きる予言の数々を付記していれば、その警告の手紙を読んだセナは次々に当ってゆく予言を目の当たりにしてジュセリーノの警告通りに決勝レースを放棄していたかもしれませんね。もしローラン・ラット(=ラッツェンバーガー)が前日に事故死することが(予知)出来ててそれ書いてればまず間違いなくセナは出走しなかったはず。
(後略)


ごもっともな指摘である。
もちろん自分はジュセリーノなんてただのニセ予言者だと断定しているのだが、もし仮にジュセリーノのことをいくらかは本物の予言者、超能力者だと信じているという人にはこのことを少しは考えてもらいたいのである。

当時のジュセリーノには本気でセナの事故死を防ごうなどという行動は起してはいなかったのである。そうとしか思えないようなことばかりをしていることになるからだ。