2007年4月13日金曜日

070413 海外からのメール

【ジュセリーノ予言の真実 0413】 海外からのメール

まず、昨日補足の欄にも書いたことだがこちらにも書いておく。

さっそくメールが来ている。昨日書いた件についてだが、
韮沢氏は掲示板で質問に対して

>「最近のやり取りで「(3月に日本で)地震がありましたね」といわれ、
>予知に満足しておられたようですが、なお機会があったら、
>ニュースを見るような予知があるのかどうか聞いてみましょう。」

と答えているのだという。まあ、その部分については自分もうっすらと記憶がある。確かに韮沢氏はそんな感じもことをおっしゃっていました、というか書いていましたね。

というか、自分としてはこの部分がひっかかっていたので昨日のようなものを書いたともいえなくもないである。

これもその不思議な香りが漂ってくる文章だなと気にかかっていた。


>>最近のやり取りで「(3月に日本で)地震がありましたね」といわれ、
>>予知に満足しておられたようですが、


ただの伝言なのか、メールなのか手紙なのか、電話なのか、電話だとしたら間に通訳を挟んでいる状態でなのか、それともネット・ミーティングのようなテレビ電話を使っての会話なのか、その状況をいろいろ推定してみると非常に味わい深いものがあるが。

それよりも自分がむっとしてしまったのは「予知に満足した状態のジュセリーノ」という部分にだ。予知に満足した状態のジュセリーノなんて誰もが想像したくはないものなのではないか。

なにしろジュセリーノは「自分の予知が当らないことを望んでいる」と言っている予言者なのだから。

それ以上の推測は不愉快なことでもあるし、無駄な想像の上にさらに無駄な仮定を重ねることになるのでこれについて書くのはここいらで留めて置く。

ただ、それぞれが自分の中でこのことについては深く考えて頂きたいことだとは思っている。

「(ジュセリーノ氏は)予知に満足しておられたようです」

と韮沢氏が掲示板での質問に答えるような形で書いていたという事実だけは忘れないようにしたい。

さて本題である。
最近になって海外からもメールが来るようになった。まだチラホラといった程度だが。それでもトータルで20通は超えたはずである。もっと来ているのかな?

やはりブラジルからのものが多い。(ドメインだけでは断定は出来ないのが辛いところだ)
「日本でジュセリーノは有名(popular)なのですか?」とか「日本のジュセリーノの反応(reaction)は?」とか「評判(reputation)は?」「bad roumour(=rumor噂=悪評だと思うが)はあるのか?」とか質問責めのような状態である。

というかやはりメールを寄越してくるほとんどのブラジルの人の場合、ジュセリーノのことを本物の予言者だと信じきっているようなのである。ニュアンスからするとだが。

まあやはりそんなもんなんでしょ。日本人の半分以上がまだ細木和子のことをよく当る占い師だとか江原啓之のことを本物の霊能力者だと信じているのと同じ事だ。

まあそれでメールの返答に苦しんでいたりもするのだが。
一応「critical side(批判的な立場)」という表明は出しているのだがなぁ・・・

名前からすると日系かなと感じるような人にはローマ字つづりの日本語文(Konnichiwa Hazimemashite みたいな感じ)も併記して送り返したのだが果してその効果はあるのだろうか。あればいいのだが。

【追加事項】

いまだその部分に関する自分の考えというものが上手く伝わっていないようなので念のためにもう一度書いておく。

「ジュセリーノの予言の本=たま出版から出たジュセリーノの本」
完全にそうだとは言えないと自分は思っているのだ。そう言っているのである。下手をすると、日本の読者はジュセリーノの予言の本を買ったつもりでいて実は「韮沢潤一郎の予言」を読まされている可能性だって考えられるよ、というようなことを言っているのだ。

もちろん翻訳物だから多少の誤差は生じる。それは仕方がない。しかし出版人であるのならば少なくも翻訳物を出すときには原書との追従性というものを念頭に置くべきであろう。ところがこの韮沢潤一郎という人にはそういうモラル・ハザード(=論理の欠如 誤用だけど)というものがまったく通用しない。

かつて「MJ12」という機密文書が世の中を騒がせたときのことだ。この韮沢潤一郎という人はいまそのときと似たようなこと、同じようなことをやっている。

かつて日本では「ノストラダムスの予言といえば五島勉が書いていること=本当のノストラダムスの書いたこと」と長く信じられてきていた。その五島勉の嘘がばれるまでものすごい長い年月がかかってしまったのである。

それと同じようなことが今回のジュセリーノにも言えるような気がしてならないのである。まだジュセリーノの本の日本語版がほかの出版社から出たのであったならば、自分は「買わないほうがいい」とかは言ってはいないだろう。そういうことだ。

もちろんだからといってジュセリーノの予言自体にもものすごい問題はある。
つまり日本の読者は二重のハンディを負わされているようなものなのだ。
それを自覚しないとジュセリーノの予言騒動がたとえ終わったとしても、第二・第三のジュセリーノはやってくるのである。たま出版から。