2007年4月4日水曜日

070404 ジュセリーノとノストラダムス 2

 
【ジュセリーノ予言の真実 0404】 ジュセリーノとノストラダムス 2

ノストラダムスが自分の予言の方法について語っている文章、記述はほかにもある。

いわゆる「序文」というものである。
形として残存しているノストラダムスの予言集の「序文」はふたつある。

ひとつは「セザールへの手紙」と呼ばれているものである。初版(第一巻から第四巻まで)が出版されたときにつけられていたものである(と言われている)。

セザールとはノストラダムスの息子のこと。この最初の予言集が世に出たときセザールはまだ1歳にも満たない幼児でしかなかった。ノストラダムスはこのセザールが成人したときに、自分の出した予言集がどんなものなのであるかということを伝えるためにこの序文を「手紙」という形で添梓した(といわれる)。

その中でノストラダムスは自分の予言の方法について少しばかり述べている。


「神そのものが星辰の運行で私に知らせて下さった事ども」

「特定の地域で実際に起きたことを、私はずっと以前に万事を徳の力と神からの啓示によるものとして長い間繰り返し予言してきた。」

「それは、創造主たる神が占星術にもとづいて、未来の秘密を過去の秘密同様に、印象に鮮やかな姿でもって啓示しようとした人物である。」

「予言者は天の火の精緻な精神によってそれを受け容れるのであり、火の精緻な精神は、夜を徹して天体の最高点を凝視するときに、理解力を掻き立てるものである。」

「強力な癲癇状の興奮でこの不可分の永遠を手にすることで、諸原因は天体の運行とともに解明されるのだ。」

「小さな炎-そこで未来の出来事の一部は明らかになるのだが-を手に入れ、黄道帯の助けを借りて発せられる声でならいざ知らず、知性から作られる理解力では神秘的にものを見通すことはできない。」

「ただし、占星術の判断は例外で、排斥されることはない。占星術と神からの霊感と啓示のおかげで、夜なべ続きの予測によって、私は予言を文書にしてまとめあげたのである。」

「しかし、週にときどきは狂気につかれたようになり、夜中の研究に快い香気をもたらす長い予測で、私はそれぞれ百篇の天体に関する四行詩を収める予言書数巻を書きあげた。」


以上、ノストラダムスサロン「セザールへの手紙」より引用した。
http://www.ne.jp/asahi/mm/asakura/nostra/proph_text/Preface.htm



全文を読んでもらえるとわかるのだが、ノストラダムスは「神からの啓示」と星々の運行(占星術)の有用性について強調して書いている。

また、この序文(の日本語訳)に散見する「火=flamme、輝き=flambeau」を「星々」と訳すると非常にスッキリとするよという前項で私が言ったこともここを読めばご理解いただけると思う。

が、夢の中で映像を見るだとか、まるで現場にいるかのような状態になる、だとかは一切書いてはいない。これが重要な点である。

もうひとつ、やはりノストラダムスが自分の予言の方法について述べている「序文」がある。

それは「国王アンリ二世への手紙」というものである。一応、形式的には1558年に出された第八巻以降の部分に対する「序文」ということになっているが、その出所・真贋についてはいろいろと言われてもいる。

ではノストラダムスがこの「手紙」の中で自分の予言についてどんなことを言っているかというと・・・



「(私の著作は)わが天文学的計算やその他の知識が及ぶ限りの綿密なる算定によって、7000年期の始めにはイエス・キリストおよび教会の敵対者たちが急激に勢力を伸ばすだろうというようなことにまで触れるものなのです。」

「私には祖先から自然な直感が与えられているとはいえ、その直感を統一のとれた長い推算にうまく結びつけ、魂と精神と心を休息や落ち着きによってあらゆる気がかりや不快感から無の境地にしてやらねばならぬというのも事実であります。予言の一部は真鍮の三脚台上で成されました。」

「私がこの書簡に記すことはわが知識に従って天文学的計算に照合したものであり、そこには真のカトリック信仰にそむく意図などまったくないのです。」

「私の算定はすべて天体の運行や、わが先祖から祈りにふれてもたらされる感情の組み合わせに基づいて計算したものであり・・・」

「わが予言の大半は天体の運行と密接な関係にあるので・・・」

「聖書を参考にしたこの天文学的計算によれば・・・」


ノストラダムスサロン「国王アンリ二世への手紙」より引用
http://www.ne.jp/asahi/mm/asakura/nostra/proph_text/Epistre.htm


と、セザールへの手紙よりも「直感=instinct」を強調してはいるものの、やはり「映像として見ている」であるとか、「夢で予言を得ている」などという記述はどこにもないのである。

もしかすると、他のノストラダムスの著作の中にもどんな形で予言を得ているかというノストラダムス自身による記述があるのかもしれない。

しかし、自分で実際に全てのノストラダムスによる予言以外のものを含めた全著作に目を通したというのではないが、例えくまなく調べてもそんな「映像として予言を得ている」とか「夢の中で」などという記述はないと思う。もしそんな記述があれば別の意味で問題になっいたはずだからである。

それで結論。

ノストラダムスの予言方法、それは占星術に基づくものである。また、神から啓示(それを彼は直感と言うばあいがあるが)がそれを支えている。
決して夢だとか(映像という意味での)ビジョンという形で得たりしたものではない。