2007年3月29日木曜日

070329 メールが増えてますが

【ジュセリーノ予言の真実 0329】 メールが増えてますが

前に何度か「ブログの文章はほとんど校正とかしないでそのままアップしている」と書いたことがあった。

今でもほとんどそうである。

書いて、コピー&ペーストで順番を入れ替えたりして体裁を整えるくらいだ。

そして直前に一・二度読見直して、特におかしなところがなければそのままアップしている。多少の「てにをは」の助詞の間違いがあってもそのときは手を入れたりすることはない。

そのほうが読んでいて面白いからだ。

それと本音を言えば、ブログに掛ける時間はなるべく短くしたいという部分もたしかにあることはある。

ときどき「よくそんなに沢山書けるね」みたいな感じで感心されたり、驚かれたり、呆れられたりするのだが、自分としてはむしろまだ書き足りなくて、いつもどこか「不完全燃焼なまま」ということの方が多い。

特にこっちのブログに関して言えば、次から次と書かなければならないことが出て来て収拾がつかなくなることもあるわけで。

というか今がまさにその状態なのだが。

昨日もまた結構な数のメールを頂いた。コメントもちらほらあった。

まだ全部に目を通したというわけではないが、正直言って首を傾げたくなるようなものが多くなったのである、日曜日以降だが。

「大地震があったのだから予言は当ったといえる。何故そうまでして無理矢理ジュセリーノを贋物呼ばわりしつづけるのか。みっともないからすぐに謝りなさい。」みたいな感じのメールである。

中には「地震はない、と言っていたがちゃんと大地震は来たではないか」と書いてあるメールも来た。

よく読んでもらいたい。自分は一言たりとも「(大)地震は来ない」なんて書いた覚えはないぞ。そんな「地震は来ない」なんてことを断言すること自体が一種の予言になってしまうではないか。

きっとアタマの中で脳内変換して、「かまた=ジュセリーノの予言否定=地震はこない」と勝手に組替えてこんなことを言っているのかもしれないが。

自分が今「ジュセリーノの予言が贋物だ」言いつづけているのは前からとまったく同じスタンスのままである。

「大地震が来たから本物」であるとか、「来なかったら贋物」という単純なリトマスではない。もし東京でも日本のどこかにでも大地震が来なかったら、それはただ単に「外れた予言がひとつ増えた」くらいにしかならない。

それくらいジュセリーノの予言なんて最初から外れまくっているのだ。ただ、ブラジルから遠く離れた日本では何故か(←嘘、理由ははっきりしている)それが正しく伝えられずに、まるで今までしてきた予言が「90%の的中率」であるとか、航空機の事故を前もって公表していとか間違って伝えられているだけなのだ。

少なくとも、一昨年の暮れにそそのかされたジュセリーノがマスコミ向けに公表してしまった「予言」は、その内容を見ればすぐにでもわかるが5%程度の的中率でしかない。つまりその時点で「誰か」がついた嘘はもう明らかなのだ。

日本に関しての地震の予言も過去に大きなふたつを外しているし、「3月の地震の予言」にしたって、今回の能登の大地震のことを差しているようには読めない。なんとなく、無理矢理に拡大解釈すればそう読めるかな、程度のものだ。そしてこの「予言を無理矢理拡大解釈する」「そうやってハズた予言を当ったかのように見せてしまう」という方法論は数年前にノストラダムスの予言が世の中に跋扈したときに確立されたものとまったく同質である。

しかしノストラダムスは大昔のすでに死んでしまった「預言者」でるのに対してジュセリーノはいまでも口を聞くことの出来る、生きている予言者である。

無理矢理な拡大解釈をする必要もないし、してはいけないことなのだが。

そういう解釈をすればいずれ恥を掻くのは目に見えていることなのだ。

それにもし、仮にジュセリーノ当人が「そうだあの予言は能登で起きた地震の予言だ」というのであればだが、それでは911のテロの予言をして「高いビルに二機の飛行機が衝突する」というビジョンを見たと堂々と語る予言者にしては余りにも脆弱すぎる予言でしかないではないか。なんかおかしくはないか?そういう不審な事実ばかりが持ち上がってくる。それがジュセリーノの予言なのである。

そのこと(今までのジュセリーノの証言は、斯様に矛盾に満ちているものばかりだ)を考えれば、「ジュセリーノの予言」なんて、あとから体裁を取り繕ったただけのものだということは(冷静に物事を見られる人であるのならば)誰でもわかってしまうようなことなのであるが。それがわからないという人は頭の中に何かが足りないか、さもなくば余計なものばかりがぎっしりと詰っていて事実が見えなくなってしまっているのどちらかである。

日本に韮沢潤一郎はたったひとりでいい。別に彼の真似などしなくてもいいだろう。